空飛ぶ日本人

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エルピーレ漂流記

目指せ世界1周 【コルサコフ→ホルムスク】

間宮海峡を渡れる船を探したらホルムスクという町から船が出ているようなので、本日は、ホルムスクに向かいます

 

電車でコルサコフからユジノ・サハリンスクへ

コルサコフ駅からユジノ・サハリンスク駅(豊原駅)へ電車で向かいます

所要時間は1時間6分、おおよその価格は109円、頻度は1日3回です

ユジノ・サハリンスク駅に到着し、まずは、駅の目の前のバスターミナルでホルムスク行きのチケットを購入します

カフェと合同の建物でкаccы書かれた方から入った狭い一室が、チケット売り場となっていました

出発バスの時間まで、駅周辺を見学します

ユジノ・サハリンスクは、ロシア連邦の実効支配が及ぶ極東連邦管区サハリン州の都市で、同州の州都です。人口は約18万人です

日本統治時代には樺太庁が置かれていた豊原という名前でした

 

樺太庁庁舎(現:サハリン郷土博物館)

日本がサハリン島の北緯50度以南を領有していた時代に、南樺太の行政機関として設置された建物です

1907年に樺太民政署の後身として豊原市(現ユジノサハリンスク市)に建てられました

1937年には陸軍第88師団の本部が置かれました

1945年に日本が敗戦し、ソ連に占領された後は、サハリン州郷土博物館となりました

現在も博物館として利用されています

日本統治時代に建てられた歴史的建造物です

サハリンの自然や歴史、文化を展示しています。博物館には、日本統治時代の資料や写真、民芸品などが多く見られます

また、サハリン島と千島列島の発見と開発に関する展示もあります

サハリン郷土博物館は火曜日から日曜日まで10時から18時まで開館しています。入場料は大人200ルーブル、学生100ルーブルです

 

ガガーリン公園

市内中心部にある広大な公園で、遊具や噴水、動物園などがあります

旧豊原公園と呼ばれていた場所で、日本統治時代には運動場や競馬場がありました

現在は、人類初の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンの像が建っているほか、桜並木や遊具などがあります。市民や観光客に人気のスポットです

ガガーリン公園は、日本とロシアの歴史や文化が交わる場所です

 

北海道拓殖銀行豊原支店跡

ユジノサハリンスク(旧豊原)の中心部にある日本統治時代の歴史的建造物です

1931年ごろに竣工した石造りの建物で、設計者は不明です

日本が敗戦し、サハリンがソ連に占領された後は、サハリン州立美術館となりました

現在も美術館として利用されています

 

バスでホルムスクへ

いよいよホルムスク行きのバスに乗車します

バスは快適で安全な移動手段でした

所要時間は1時間6分で、おおよその価格は650円です

ホルムスクに到着です。ここは、日本とロシアの歴史や文化が交わる場所です

徒歩で行ける、旧王子製紙工場跡、旧真岡神社跡、旧真岡郵便局跡を紹介します

 

王子製紙工場跡

かつてサハリンにあった製紙工場のことです

この工場は、日本統治時代に樺太工業という会社が建設しましたが、後に王子製紙という会社に買収されました

第二次世界大戦後、サハリンはソ連に占領され、この工場もソ連のものになりました

ソ連では、この工場をホルムスクパルプ製紙工場と呼び、紙製品を作っていましたが、1990年代に操業をやめました

今では、この工場は廃墟となっていますが、その姿は日本時代の面影を残しています

 

旧真岡神社跡

ロシアのサハリン島にある歴史的な場所です

ここは、かつて日本が統治していた真岡町の中心にあった神社でしたが、戦争で破壊されました

今では、石碑や日本庭園が残り、日本人の足跡をたどることができます

郷土博物館では、当時の生活を伝える展示も見られます

 

旧真岡郵便局跡

ここは、かつて日本が統治していた真岡町の中心にあった郵便局でしたが、1945年にソ連軍によって破壊されました

その際、9人の女性電話交換手が集団自決しました。この事件は、「北のひめゆり」とも呼ばれ、日本人の悲劇を象徴しています

今では、郵便局の跡地には、九人の乙女の像や慰霊碑が建てられています

 

まとめ

ユジノ・サハリンスクやホルムスクは、日本の歴史と文化が色濃く残る場所です

王子製紙工場跡や旧真岡神社跡など、日本統治時代の建物や施設が見られます

しかし、戦争の傷跡も深く、旧真岡郵便局跡では、9人の乙女の悲劇を思い起こさせます

ホルムスクは、日本人にとって忘れられない土地であり、敬意と感謝の気持ちを持って訪れたいと思います

 

予め予約したフェリー乗り場の近くのKholmsk Hotelで宿泊します