BAM鉄道で行くコムソモリスク・ナ・アムーレ
ワニノから極東ロシアの工業都市へ
ワニノからBAM鉄道の旅
極東ロシアの港町ワニノからBAM(バイカル・アムール鉄道)に乗車。 列車は夕方にワニノ駅を出発し、夜のシホテアリニ山脈や深いタイガの森を走り抜ける。 翌朝になると、大河アムール川沿いの都市 コムソモリスク・ナ・アムーレへ到着する。 約13時間の旅で、ソ連時代のフロンティア開発の歴史を感じられるルートである。
コムソモリスク・ナ・アムーレとは
コムソモリスク・ナ・アムーレ (ロシア語:Комсомольск-на-Амуре)は、 ロシア極東のハバロフスク地方に位置する人口約24万人の都市である。 アムール川左岸に広がる港湾・工業都市であり、 極東有数の航空機・造船・金属工業の中心地として知られている。
都市の名前はソ連共産党青年組織「コムソモール」に由来しており、 1930年代に数多くの若者たちが建設事業へ動員されたことを記念している。
この地の歴史
19世紀半ばまで、この地域は清朝統治下の満州の一部であった。 1858年のアイグン条約によりロシア帝国へ割譲され、 1860年にはロシア移民によるペルムスコエ村が建設された。
1932年、ソ連政府による極東開発政策の一環として、 アムール川沿岸の原野に巨大工業都市の建設が開始された。 数多くのコムソモール青年が集められ、 飛行機工場や造船所、製鉄所などの建設に従事した。
第二次世界大戦後には極東屈指の工業都市へ発展し、 現在でもロシア航空宇宙産業を支える重要な生産拠点となっている。
シベリア抑留の記憶
この都市は、日本人にとってシベリア抑留の歴史と深く結びついている。 第二次世界大戦終結後、 多くの日本人捕虜がコムソモリスク周辺の収容所に送られ、 鉄道建設や住宅建築、道路工事などの労働に従事させられた。
冬には気温が零下30度近くまで下がり、 寒さ・飢え・重労働の三重苦が抑留者を苦しめた。 収容所では黒パンと薄いスープのみという日も多く、 多くの人々が命を落とした。
「故国の土を踏むまでは、シラカバの肥やしになるまいぞ」
これは抑留者たちが互いに励まし合うために語った言葉である。 故郷へ帰る希望だけを支えに、 厳しい環境を生き抜いた人々がいた。
コムソモリスク周辺には現在も多くの日本人抑留者の眠る墓地や慰霊施設が残されている。 この街を歩くと、近代ロシアの工業発展の歴史だけでなく、 戦争が人々に残した深い傷跡についても考えさせられる。
現在のコムソモリスク
現在のコムソモリスク・ナ・アムーレは、 航空機製造工場や造船所が立地するロシア極東有数の工業都市である。 アムール川沿いには広い遊歩道が整備され、 スターリン様式建築やソ連時代の記念碑が街並みに残る。
観光客は多くないが、 BAM鉄道の旅の拠点として、またシベリア抑留の歴史を学ぶ場所として、 非常に興味深い都市である。
旅の感想
ワニノから夜行列車で訪れるコムソモリスク・ナ・アムーレ。 そこにはソ連の巨大開発計画、極東工業都市の成長、 そしてシベリア抑留という日本人の記憶が重なり合っている。
BAM鉄道の車窓から眺めるタイガの景色と、 アムール川の雄大な流れは忘れ難い。 単なる観光地ではなく、 歴史と記憶を感じることのできる街であった。







