目指せ世界1周【ロシア極東の港町ワニノの魅力】
ワニノの町
ワニノは、ロシアの極東部に位置する港町で、ハバロフスク地方に属しています。人口は約1万7326人です。ワニノは、サハリン(樺太)の対岸に位置し、日本海最北部のタタール海峡(間宮海峡)に面した重要な港であり、バイカル・アムール鉄道も通っています。ワニノ周辺は、海岸線が入り組んでいるため、自然が非常に豊かな地区が広がっています。冬には北から流氷が押し寄せるため、不凍港というわけではないです。
ワニノーホルムスクフェリー
ワニノーホルムスクフェリーは、サハリンとロシア本土を結ぶ唯一の交通手段です。このフェリーは、鉄道車両や貨物だけでなく、旅客も乗せて260キロの海上を約4時間で渡ります。船上からは、タタール海峡の美しい景色や、時にはイルカやクジラなどの海洋生物も見ることができます。サハリンとロシア本土を行き来する際には、ぜひ利用してみてください。
ワニノ商業港
ワニノ商業港は、ハバロフスク地方で最大の港湾会社であり、国内外からさまざまな貨物を取り扱っています。この港は、1943年に設立された歴史ある港であり、ヴァニノ港は鉄道、海、道路通信を接続する輸送ハブです。Vaninoを通じて、商品はロシア、日本、韓国、中国、オーストラリア、米国、およびアジア太平洋地域の他の国々の北東部地域に配達されます。港の有利な地理的位置は、バイカルアムールとトランスシベリア鉄道に沿って西から来る貨物のための海への最も近いアクセスを開きます。港のインフラストラクチャは、45000のバース、港湾施設と設備を備えたオープンおよびクローズ倉庫で構成されています、 クレーン機器と積み替え機器。バースの深さと技術的手段により、載貨重量のある船舶を受け入れて取り扱うことができます。
ヴァニーノ灯台
ヴァニーノ灯台は、フェアウェイの配置であり、それに沿って世界中のさまざまな母港からの船がバニーノの湾と港に入ります。この灯台は、地区中心部のメインストリート - プリモルスキー大通りを飾っています。時が経つにつれて、灯台はヴァニーノの村の一種のシンボルになりました。
ワニノ駅
ワニノ駅は、鉄道駅の建物と旅客プラットフォームがあります。この駅は、バイカル・アムール鉄道の一部であり、囚人、建設大隊の兵士、そして捕虜が道路の建設に重要な役割を果たしました。現在、フェリーから積み替えられた貨物列車やヴァニノホルムスクフェリー交差点まで貨物列車が駅を通過しています。
目指せ世界1周【サハリン島からワニノ港への鉄道連絡船の旅】
今日は、サハリン島のホルムスク港からロシア連邦のワニノ港まで、貨客兼用の鉄道連絡船に乗ってみました。この船は、鉄道車両や自動車、旅客などを運ぶことができる珍しい船で、サハリン島と本土を結ぶ重要な交通手段です。
出発前には、チケットを購入する必要があります。チケットは、インターネットや電話で予約することもできますが、私は直接港で買いました。料金は約7000円でした。自動車や鉄道車両を積む場合は、別途料金がかかります。
船に乗る前には、荷物検査やパスポートチェックなどの手続きがあります。私は日本人なので、ビザも必要でした。手続きが終わったら、船に乗り込みます。
船内には、様々な設備があります。客室は2人から4人用のものがあり、シャワーとトイレも付いています。レストランやバーでは、食事や飲み物を楽しむことができます。また、テレビやインターネットも利用できます。
船旅の楽しみは、やはり海の景色です。晴れた日には、青い海と空が広がります。夕日や朝日も美しいです。時々、海鳥やイルカなどの動物も見ることができます。
約18時間後には、ワニノ港に到着します。ここからは、バスやタクシーで市内へ行くことができます。ワニノ港は、ロシア最大の太平洋岸港湾都市であり、多くの産業や観光スポットがあります。
以上が私の鉄道連絡船の旅のレポートです。サハリン島と本土を結ぶこの船は、非常に便利で快適な交通手段です。ぜひ一度体験してみてください。
目指せ世界1周 【コルサコフ→ホルムスク】
間宮海峡を渡れる船を探したらホルムスクという町から船が出ているようなので、本日は、ホルムスクに向かいます
電車でコルサコフからユジノ・サハリンスクへ
コルサコフ駅からユジノ・サハリンスク駅(豊原駅)へ電車で向かいます
所要時間は1時間6分、おおよその価格は109円、頻度は1日3回です
ユジノ・サハリンスク駅に到着し、まずは、駅の目の前のバスターミナルでホルムスク行きのチケットを購入します
カフェと合同の建物でкаccы書かれた方から入った狭い一室が、チケット売り場となっていました
出発バスの時間まで、駅周辺を見学します
ユジノ・サハリンスクは、ロシア連邦の実効支配が及ぶ極東連邦管区サハリン州の都市で、同州の州都です。人口は約18万人です
日本統治時代には樺太庁が置かれていた豊原という名前でした
樺太庁庁舎(現:サハリン郷土博物館)
日本がサハリン島の北緯50度以南を領有していた時代に、南樺太の行政機関として設置された建物です
1907年に樺太民政署の後身として豊原市(現ユジノサハリンスク市)に建てられました
1937年には陸軍第88師団の本部が置かれました
1945年に日本が敗戦し、ソ連に占領された後は、サハリン州郷土博物館となりました
現在も博物館として利用されています
日本統治時代に建てられた歴史的建造物です
サハリンの自然や歴史、文化を展示しています。博物館には、日本統治時代の資料や写真、民芸品などが多く見られます
また、サハリン島と千島列島の発見と開発に関する展示もあります
サハリン郷土博物館は火曜日から日曜日まで10時から18時まで開館しています。入場料は大人200ルーブル、学生100ルーブルです
ガガーリン公園
市内中心部にある広大な公園で、遊具や噴水、動物園などがあります
旧豊原公園と呼ばれていた場所で、日本統治時代には運動場や競馬場がありました
現在は、人類初の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンの像が建っているほか、桜並木や遊具などがあります。市民や観光客に人気のスポットです
ガガーリン公園は、日本とロシアの歴史や文化が交わる場所です
旧北海道拓殖銀行豊原支店跡
ユジノサハリンスク(旧豊原)の中心部にある日本統治時代の歴史的建造物です
1931年ごろに竣工した石造りの建物で、設計者は不明です
日本が敗戦し、サハリンがソ連に占領された後は、サハリン州立美術館となりました
現在も美術館として利用されています
バスでホルムスクへ
いよいよホルムスク行きのバスに乗車します
バスは快適で安全な移動手段でした
所要時間は1時間6分で、おおよその価格は650円です
ホルムスクに到着です。ここは、日本とロシアの歴史や文化が交わる場所です
徒歩で行ける、旧王子製紙工場跡、旧真岡神社跡、旧真岡郵便局跡を紹介します
旧王子製紙工場跡
かつてサハリンにあった製紙工場のことです
この工場は、日本統治時代に樺太工業という会社が建設しましたが、後に王子製紙という会社に買収されました
第二次世界大戦後、サハリンはソ連に占領され、この工場もソ連のものになりました
ソ連では、この工場をホルムスクパルプ製紙工場と呼び、紙製品を作っていましたが、1990年代に操業をやめました
今では、この工場は廃墟となっていますが、その姿は日本時代の面影を残しています
旧真岡神社跡
ロシアのサハリン島にある歴史的な場所です
ここは、かつて日本が統治していた真岡町の中心にあった神社でしたが、戦争で破壊されました
今では、石碑や日本庭園が残り、日本人の足跡をたどることができます
郷土博物館では、当時の生活を伝える展示も見られます
旧真岡郵便局跡
ここは、かつて日本が統治していた真岡町の中心にあった郵便局でしたが、1945年にソ連軍によって破壊されました
その際、9人の女性電話交換手が集団自決しました。この事件は、「北のひめゆり」とも呼ばれ、日本人の悲劇を象徴しています
今では、郵便局の跡地には、九人の乙女の像や慰霊碑が建てられています
まとめ
ユジノ・サハリンスクやホルムスクは、日本の歴史と文化が色濃く残る場所です
旧王子製紙工場跡や旧真岡神社跡など、日本統治時代の建物や施設が見られます
しかし、戦争の傷跡も深く、旧真岡郵便局跡では、9人の乙女の悲劇を思い起こさせます
ホルムスクは、日本人にとって忘れられない土地であり、敬意と感謝の気持ちを持って訪れたいと思います
予め予約したフェリー乗り場の近くのKholmsk Hotelで宿泊します
目指せ世界1周 【稚内~コルサコフ】
稚内からフェリーでコルサコフ(サハリン)へ
今回は稚内からフェリーでコルサコフ(サハリン)へ行ってきた旅行記をお届けします。
コルサコフは、日本統治時代の面影が残る港湾都市で、サハリン第二の都市です。歴史や文化に興味がある方にはおすすめの場所です。では、旅の様子をご紹介しましょう。
フェリーで出発
稚内のホテルより徒歩で稚内国際フェリーターミナルへ向かいました。
フェリーではコルサコフ(大泊)にしか向かえません。
時差が2時間あります。
あまり需要がないようで来年も出るかわからないようです(コロナの流行以降は出ていません)。
ロシアに行くにはビザが必要です。
稚内国際フェリーターミナルでチェックイン、入国カードの記載と両替を済ませ出国しました。免税店でロシアの方がタバコや生活用品等を買われていました。
フェリーに乗りいざ出発です。4時間半の船旅になります。乗員はほぼロシア人です。結構揺れが激しいので、船酔いする方は要注意です。
コルサコフに到着
4時間かけフェリーは到着しました。フェリーからバスで入国審査場に向かいました。無事ロシアに入国できました。日本とは違う風景です。
予約したホテル アリファに徒歩で向かう途中、地図にある亜庭神社跡とレーニン広場を見学してみました。
亜庭神社跡は、旧樺太時代の神社の跡地です。祭神は大国主命、事代主命、御食津神、誉田別尊、市杵島姫命で、1914年に創立されました。現在は、望郷公園展望台として整備されており、港町コルサコフの景色を一望できます。鳥居や石碑などの遺構も残っています。
レーニン広場は、市庁舎の前にある広場です。白樺の街路樹や花壇が美しく、市民の憩いの場になっています。広場の中央には、小ぶりで親しみやすいレーニン像が立っています。
まとめ
日本とロシアの歴史や文化が交わる場所で、興味深い体験ができました。
フェリーも快適でしたが、揺れに弱い方は注意してください。
コルサコフは、日本から近くて遠い異国情緒あふれる街です。
次はサハリンスク(豊原)を目指します
目指せ世界1周 【旭川~宗谷岬】
北海道は、広大な自然と美味しい食べ物が魅力の土地です。今日は、旭川駅からJR宗谷本線で稚内駅まで行きました。稚内駅からは、稚内観光協会にてレンタルサイクルを利用して、宗谷岬へ向かいました。電動アシスト付きの自転車やクロスバイクなどが借りられます。私は、電動アシスト付きの自転車を選びました。
宗谷岬までの道のりは、約32kmあります。海沿いの道を走ると、潮風が心地よくて気分が爽快になります。途中で見つけたスポットも紹介します。
- 間宮林蔵渡樺出港の地:日本初の樺太探検隊を率いた間宮林蔵が出発した場所です。間宮林蔵の像や記念碑があります。
- 宗谷丘陵フットパスコース:宗谷丘陵の自然を楽しめる散策路です。花や鳥などの生き物に出会えます。
- ホタテの貝殻でできた白い道:昭和30年代にホタテ漁が盛んだったころ、貝殻を敷き詰めて作られた道です。貝殻がキラキラと光って美しいです。
そして、ついに宗谷岬に到着しました。日本最北端の地の碑に触れて、感動しました。海の向こうには、サハリンが見えました。その日は天気が良くて、利尻富士も見ることができました。自転車は片道乗り捨ても可能です。
夕食は稚内へ戻りラーメン大王本店へ行きました。稚内ラーメン大王本店は、北海道の最北端にあるラーメン店です。ここでは、地元の食材を使った本格的なチャーメンを味わうことができます。スープは醤油ベースでまろやかな旨みがあり、チャーシューやメンマ、ネギなどの具材がたっぷり入っています。麺はやや細めのちぢれ麺で、スープとよく絡みます。一口食べれば、北海道の風土と人情が感じられるでしょう。
目指せ世界1周【函館~旭川】
今回は、函館から旭川までの旅行記を紹介します。途中、長万部や小樽で下車して、北海道の自然や食文化を堪能しました。
函館から長万部へ
函館からJR函館本線に乗って長万部へ向かいました。8:18に函館を出発し、11時過ぎに長万部に到着しました。次の電車は13:29発だったので、2時間ほどの時間がありました。そこで、長万部駅で一旦下車して、歩いて内浦湾を見に行きました。
内浦湾は、渡島半島によって三方を囲まれたほぼ円形の湾で、噴火湾や胆振湾とも呼ばれます。湾ではサケ、イカ、カレイなどがよく獲れるほか、ホタテガイの養殖が盛んなようです。青い海と緑の山々が美しく、とても癒されました。
長万部で昼食
内浦湾を散策した後は、長万部駅前のそば合田で昼食をとりました。そば合田は折詰そばが名物です。折詰は、昔から長万部で使われていた保存食で、そばの風味や鮮度を保ちます。北海道の伝統的な味を楽しみたい方におすすめです。
長万部から小樽へ
昼食を食べた後は、長万部を出発してJR函館本線で具知川まで行きました。そこで乗り換えて小樽へ向かいました。小樽には16時頃に着きました。次の電車は18時半頃だったので、2時間ほど小樽を散策しました。
小樽は北海道の観光名所として有名です。運河沿いにはレトロな建物や倉庫が並びます。また、ガラス工芸や音楽箱などのお土産も豊富です。
小樽から旭川へ
小樽を出発してJR函館本線で滝川まで行きました。そこで乗り換えてJR宗谷本線で旭川へ向かいました。旭川には夜の22時半頃に到着しました。前日に予約しておいたホテルで宿泊しました。
旭川で夕食
ホテルに荷物を置いた後は、旭川で夕食をとりました。旭川はラーメンの街として有名です。中でも、旭川らうめん青葉は、伝承・五十年スープという名物のラーメンが人気です。伝承・五十年スープとは、昭和25年から続く秘伝のスープで、醤油ベースのあっさりとした味わいです。麺は細麺で、チャーシューやメンマなどの具がたっぷり入っています。
まとめ
今回は、函館から旭川までの旅行記を紹介しました。途中、長万部や小樽で下車して、北海道の自然や食文化を堪能しました。北海道は広くて美しい場所です。ぜひ、皆さんも訪れてみてください。